受験生のつれづれ日記ログ2004_11

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受験生のつれづれ雑記2004_11月

 

時間認識

妙な自慢だが、私は空間認識力はあるほうだと思う。
一度通った道は必ず覚えている。地図は見間違わない。
だから道には決して迷わない。
空間ベクトルの問題と回転体の体積の問題は、得点源のひとつだ。

また、身長は低いが、バスケのリバウンドは得意だし、ハンドラーだが、浮いたロングスローをディープと張り合える。足らない部分を空間認識でカバーしてきた結果だともいう。 必要とされ、用いてきたものはその機能を高めていく。これは、ある種のラマルクの「用不用説」だ。

いや違う。「用不用説」は進化論の話であって、私の努力や経験は個体の成長の話だ。別次元の話である。加えて、ラマルクの「用不用説」はワイズマンの指摘、さらにはダーウィンの自然選択説の登場により否定され、過去の遺物となっている。

しかし、まて。確かに、残念ながら獲得形質は遺伝しないが、身長が低いことが遺伝だとしたら、私の子供も私と同じプロセスをたどれば、 遺伝ではないはずの獲得形質である、空間認識を手に入れてもおかしくない。ある意味獲得形質の遺伝だ。
これは、新しい考え方では無いだろうか。
この発想を基礎に、なにか新しい進化論を作り上げられないだろうか。

この新しい進化論を作り上げることが出来れば、これは現代の進化論に新風を巻き起こすことが出来るかもしれない。ダーウィンの「自然選択説」、ド・フリースの「突然変異説」、ワグナーの「隔離説」が当然とみなされている中、淘汰されたラマルクの「用不用説」の復興である。
名づけて村瀬直基の「後天的獲得形質間接遺伝進化説」。長い。
略して、「直基説」。

この「直基説」を研究し、どこぞに論文として発表したら誰か認めてくれたりしないだろうか。というか認めろ。世界的に認めろ。そして当然のごとくノーベル賞である。
授賞式には初めて着る燕尾服でぎこちなく歩く私。世界中継の授与式の模様は、もちろん日本でもNHKをはじめあらゆるニュースで流れ、その映像を見るたびにその、危なっかしさとあどけなさ、赤面した私の顔に日本中の女子が大興奮である。「燕尾服萌え」。新しいジャンルである。ノーベル賞萌えとしての先輩の田中さんは少なくとも超えるつもりである。
一方、学術面では私の名前が入る説が世界標準となるのだ。いや、ラマルクに思い入れも興味も無いし、経済学を学んだものとしてはどちらかというと、市場原理ともつながる考え方である自然選択に共感をえるのだが、この際どうでもいい。
私の名前が後世まで教科書に載るのだ。ダーウィンやド・フリース、ワグナーと肩を並べて、村瀬直基。わんだほー。

ということで、さっそくだが受験勉強も片手間に「直基説」の研究に、本腰を入れようと思うので、共同研究者を募集をしようと思うのだが、残念ながら遺伝子をともに残すことを目的とする協力者には、当分恵まれそうに無い。

まこと残念である。

 

見たくないもの

最近は、度の少し弱い眼鏡をかけている。


いや、少し前までは所持しているものの中で一番強くて、長時間かけているとクラクラしていたやつなんだが、近視が着実にすすんでいっているせいで少し度が弱いと感じるようになった眼鏡だ。

最近は、この眼鏡を気に入って、かけている。度の弱い眼鏡はある意味便利だからだ。
適度に見えないということは、便利だ。
汚いもの、不快なもの見たくないものは見なくてすむ。
ただでさえストレスが多い生活なのに、町には見たくないものが溢れている。
満員電車内のOLの歪んだ顔、馬鹿なカップルのいちゃついている様子、面白そうな映画の宣伝、自習室で勉強に励むライバル達の姿…。
みんなぼやけて見える。便利だ。
一方で、見たいものは注目して注意してみればいいだけのことだ。

加えて、「人に見られている」という事実が、視力の弱い僕には見えない。
だから、ある意味人目を気にしないことが強制されているともいえる。
人目を気にしないってのは、割と楽だ。
具体的すぎる例示かもしれないけれど、最近はひげも剃らないし、髪の毛もいい加減だし・・・でも、それが別に気にならない。だって、人目は気にならないから。




でも先日、必要があってコンタクトレンズをしなければならない機会があった。
僕のコンタクトレンズは車の運転時に使用するため、かなりカッチリと視力矯正されていて、装用すると両眼ともに1.2くらいは見えるよう設定してある。
2ヶ月ぶりくらいに、つけたコンタクトレンズ越しにみる景色で、
僕は、いきなり別世界に連れて行かれたような気分になった。


抜けるような青空、色とりどりの枯葉、落ち葉の舞う模様、すっかり秋色の世界。
(・・・ちょっと前まで観測史上最高の気温とか言ってたのに。)
道を歩く老夫婦の笑顔、無邪気によちよち歩く赤ん坊と、それを見守る母親の柔らかな表情。
普通の風景がクッキリものが見えるだけで、素晴らしい世界に見えて
それだけで、心が揺り動かされて泣きそうになった。

そんなことで?と思われるだろう。
そんなことで?と思う。でも実際そうだからしょうがない。

たぶん疲れていからなんだろうなと思う。
最近は、些細なことで感動したり、怒りを覚えたりする。眠れなかったり、吐き気がしたりする。
だから、新鮮な秋の景色に、感動してしまったんだろう。
精神の衰弱と不安定がそうさせているのだと思う。
今の自分の立場の不安定さ具合、これからの自分の先の見えなさ具合。
自分で選んだ道だとはいえ、はやく次のステージへ、とりあえず受験生は早く抜け出たい。
早く試験を終えたい。けど、準備万端?いやそうじゃない・・かもしれない。
焦燥感。
気づいているところと、気づいていないところでストレスが溜まっているのかもしれない。




結局、コンタクトレンズをつけて、一番はっきり見えたものは
自分の選択に、自分で疲れている、自分のふがいなさだった。



やっぱり見たくないものを見たわけだ。

 


 

 

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